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1955年、旧ソ連が大気圏内で行われたのはРДС-37(RDS-37)という水素爆弾(水爆)の爆発試験です。今回は当時撮影された映像と核兵器に関して紹介していきます。

カザフスタンの北東部、面積にして日本の四国に匹敵する草原地帯にあったのはセミパラチンスク核実験場です。この実験場は旧ソ連の崩壊により1991年に閉鎖されており現在世界の核実験場では唯一、他国による核実験場の調査が可能なエリアとなっています。

この核実験場で実施されたのがРДС-37(RDS-37)の試験です。



1955年11月22日、旧ソ連はTu-16戦略爆撃機にRDS-37を搭載しセミパラチンスク核実験場にて大気圏核実験を実施しました。爆発の威力は1.6メガトン(1,600キロトン、TNT爆薬1,600,000,000kg相当)で広島型原爆の100倍程度、2017年9月3日に実施された北朝鮮の核実験の10倍程度です。映像では2分13秒に衝撃波が市街地を襲い歩いていた人が倒れるという姿が写っているのですが、この爆発で65km離れた地点で建物が倒壊するなどし3人が死亡しています。

核兵器を搭載したTu-16は高度12,000mを飛行し核兵器を投下。核兵器はパラシュートを展開し高度1550m付近で炸裂します。この時、Tu-16は炸裂地点から15km離れており無事に帰投しています。当時の様子として同機に搭乗していたナビゲーターは太陽よりも遥かに暑い熱線を感じたと報告しています。

発生したきのこ雲は爆発から5~7分後に高度13~14kmに達し雲の直径は25~30kmになったと言われています。また59の地域で建物に被害が確認され発生した衝撃波により半径200km圏内のガラスが割れたと報告されています。