Tu-144

超音速旅客機といえば英仏のコンコルドが有名ですが、よく似た形状の機体としてソ連のツポレフTu-144があります。今回はTu-144が起こした2度の大きな墜落事故の1つ、パリ航空ショーでの墜落事故と当時の写真を紹介していきます。

旧ソ連が1968年に初飛行させたのはTu-144という超音速旅客機です。Tu-144は試作機を含め計16機が製造され、最高速度はマッハ2.15(2,285km/h)からマッハ2.35(2,500km/)。巡航速度もマッハ2以上と、現在のターボファン・エンジンを搭載した旅客機の倍以上のスピードを出せる“夢の超音速旅客機”でした。

1972年3月20日、Tu-144の量産型2号機として初飛行したCCCP-77102(Tu-144S)は、翌年1973年6月3日パリ航空ショーで展示飛行中に墜落しました。原因は30万人前後がいたという会場正面を低空で通過するパフォーマンスを行った後、急上昇するという飛行が行なわれました。しかし、失速してしまい機体を水平に戻そうと機首を起こす動作を取ったところ機体性能を超える荷重が加わり左の翼が折れ墜落しました。

▼急上昇した墜落事故機
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墜落については様々な仮説があるものの、上記の内容が現在言われている一般的に言われる原因になります。また、当時Tu-144を撮影しようとフランス側が戦闘機を無断で飛ばしていたとされTu-144が戦闘機を避けようと急上昇したという説もあるそうです。



こちらが当時撮影された映像です。旅客機ながら機動飛行のような急旋回を行い非常に負荷のかかる飛び方をしていることがわかります。この事故でTu-144のパイロットを含む6名が死亡し、地上にいた8名の一般人が犠牲となりました。

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Photo:English Russia