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ヴァルキリーという愛称で知られ今も絶大な人気を誇っているのはアメリカ空軍が試作した大型爆撃機XB-70です。機体は最高速度マッハ3を出せる超音速戦略爆撃機なのですが、今回は製造中に撮影されたという貴重な写真を紹介していきます。

1950年代、米軍は超高速・高々度・長航続距離の条件を備えた新型爆撃機を構想しました。この構想から誕生したのは今回紹介するXB-70ヴァルキリーです。この爆撃機は核兵器を搭載しソ連本土を核攻撃するという超音速戦略核爆撃機として開発されました。

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Photo:ЯПлакалъ
機体デザインについてはいくつか案があったようなのですが、最終的にWS-110Aという後の試作機となるデザインが採用されました。

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Photo:ЯПлакалъ
機体前方下部に大きな空気取り入れ口が2つ。その後部には合計6基のアフターバーナー付きターボジェットエンジン YJ93-GE-3が搭載されていました。このエンジンと優れた機体設計により航続距離は実に12,200kmとなり単独で離陸しソ連を爆撃機帰還することができました。ちなみに搭載されている燃料は18万リットルでこれはジャンボジャットで知られるボーイング777-300の17万リットルを超えています。合わせて機内には核兵器(水爆)を17発搭載できました。

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Photo:ЯПлакалъ
最高速度はマッハ3.1。時速に換算すると3,800kmになるとされ、この速度により機体表面は300度を超える熱を帯びることで通常の機体とは異なるステンレス系合金で覆われることになりました。

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Photo:ЯПлакалъ
XB-70の特徴の一つとして大きなデルタ翼の翼端が下方向に折れ曲がるという構造が取り入られました。これは垂直尾翼の能力を補うためであり、航空機の操縦性を高めるためのものと言われています。

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Photo:ЯПлакалъ
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Photo:ЯПлакалъ
しかし、この機体は軍に正式配備されることはありませんでした。理由は核兵器の運搬方法について弾道ミサイル技術が急速に発達したことがあります。結局この機体が飛ぶ前の1961年の段階でXB-70のプロジェクトは打ち切りが決定。その後1964年に機体がロールアウト、同年9月21日に初飛行に成功します。

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そして1966年6月8日、エドワーズ空軍基地近辺にてエンジンを開発したゼネラル・エレクトリックが同じくゼネラル・エレクトリック製エンジンを搭載した機体と共に同社の宣伝用フィルムを撮影するためXB-70(2号機)を中心とした編隊飛行を実施しました。
その後事故が発生しXB-70と後方を飛行していたF-104Nが空中衝突。F-104Nは直ちに火だるまになり衝突により尾翼を失ったXB-70はしばらく飛行を続けたものの間もなく操縦不能の陥り墜落。衝突したF-104Nのパイロットは即死しXB-70の操縦士は生還したものの脱出に失敗した副操縦士は機体とともに墜落し死亡しました。

結局試作機2機が製造されたのみで初飛行からわずか5年、1969年に退役しました。計画全体にかかった費用は日本円で5兆円ともいわれています。現在残された1号機はライト・パターソン空軍基地の空軍博物館内に展示されています。