人類が作り上げた巨大な建物ピラミッド。特に『高さ』の記録は建造後3000年も抜かれることはなかったとも言われているのですが、ピラミッド建造の謎の一部が当時記録されていた日記により明らかになったと報じられています。
エジプトに存在するピラミッドは紀元前2500年頃に作られたとも言われているのですが、どのようにして1個あたり約2トンもある石を300万個も運んで積み上げたのか、その建設方法は依然として謎が多いままです。そんな中、エジプトで調査を行っているチームが当時の工事の様子を記した書類を調査したところ、ピラミッドに使われた石を遠く離れた石切場から切り出して船に乗せ、なんとナイル川を利用して人工の運河を建設し、ピラミッド近くまで運んでいたと記されていることがわかっています。謎の一部が明らかになったのはピラミッドを構成している重さ2トンを超える石がどのようにして砂漠地帯に運ばれたのかという疑問についてです。
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記事によると、ピラミッドがあるギザから200km離れたワディ・アル・ジェルフという港で発見されたパピルスを解読したところ、実はピラミッドの石の運搬に携わっていたメレルという現場監督の日記の一部だったとこがわかったそうです。
それによると石はギザの上流、800km離れた古代エジプトの都テーベがあった『ルクソール』で船に載せられ、合わせて建設された人工の運河を利用し現場付近まで運ばれていたそうです。これに関して、石はピラミッドのかなり近いところまで運ばれたと書かれていたそうです。
▼ルクソールとピラミッドの位置
ただ、どのようにして石を高い精度で積み上げていったのかなどピラミッド全体の建造方法に関しては書かれておらず現在も大きな謎となっています。
800kmという距離に関しては日本の道路に当てはめると『東京から広島市』、『東京から本州最北端で知られる青森県大間町』の距離に等しいのですが、これほどの距離を移動していたというのは驚きです。
エジプトにはピラミッド以外も様々な建造物があるのですがもしかしたら、同じように長距離を移動し設置されたものかもしれません。