マッハ3を超える速度で飛行し高解像度のカメラで偵察するという未来話のような作戦を実際に行っていたのはアメリカです。なんと1970年代にこれを行っていたのですが、機体が中国国内に墜落し回収されていたことについて紹介していきます。(2017年の記事です)
D-21とはアメリカの航空大手ロッキード・マーティンのスカンク・ワークスが開発したのは超音速無人偵察機です。小型かつ高速で飛行し、さらにステルス性も高いという特徴がありこの機体は1964年から中国の核実験が繰り返されていたロプノール周辺地域を領空侵犯し偵察した後に帰還させ写真を放出しした後機体は自爆するように設計されていました。
▼母機M-21と無人偵察機 D-21
D-21が実際に運用された回数は4回です。最初は1969年11月9日で中国の原子力施設の撮影が試みられたもののナビゲーションシステムが故障し帰還に失敗。1970年12月16日、2回目の作戦では撮影に成功し帰還。写真を納めたモジュールが放出されたもののパラシュートが開かず落下し破壊。3回目の作戦となった1971年3月4日、パラシュートを展開したものの空中回収に失敗。その後駆逐艦を派遣し写真の回収が行われたものの水没しました。
そして4回目の作戦で問題が発生します。1971年3月20日に同じように中国を領空侵犯し撮影を試みたところ墜落してしまい本体が中国当局に回収されるという出来事が発生しました。
▼回収されたD-21
▼中国の博物館に展示されているD-21
この墜落に関しては当時のリチャード・ニクソン大統領が中国と和解しています。また機体に関しては全ての作戦が失敗したことや人工衛星の技術が発達したこともあり計画が終了することになります。
▼母機M-21と無人偵察機 D-21
D-21が実際に運用された回数は4回です。最初は1969年11月9日で中国の原子力施設の撮影が試みられたもののナビゲーションシステムが故障し帰還に失敗。1970年12月16日、2回目の作戦では撮影に成功し帰還。写真を納めたモジュールが放出されたもののパラシュートが開かず落下し破壊。3回目の作戦となった1971年3月4日、パラシュートを展開したものの空中回収に失敗。その後駆逐艦を派遣し写真の回収が行われたものの水没しました。
そして4回目の作戦で問題が発生します。1971年3月20日に同じように中国を領空侵犯し撮影を試みたところ墜落してしまい本体が中国当局に回収されるという出来事が発生しました。
▼回収されたD-21
▼中国の博物館に展示されているD-21
この墜落に関しては当時のリチャード・ニクソン大統領が中国と和解しています。また機体に関しては全ての作戦が失敗したことや人工衛星の技術が発達したこともあり計画が終了することになります。