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アドリア海に面するアルバニア。南にギリシャ、対岸にはイタリアがあるという国です。今回はこの国がかつて運用していた放棄された中国製戦闘機を紹介していきます。

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こちらが既に使用されなくなったアルバニア空軍の旧戦闘機です。所狭しと放棄されている様子が確認できるのですが、国内では写真では左側に山をくり抜き作られた地下基地を複数設けていました。そして写真右側、道路の先には滑走路が設けられています。

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こちらが地下基地内の様子です。写真に写っているのは中国製の『J-6』という、旧ソ連のMiG-19を中国がライセンス生産した機体です。

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アルバニアは1944年末にアルバニアパルチザンとソ連軍によりアルバニア共産党による臨時政府が設立。その後は共産主義政権となったものの、1961年に中ソ対立が強みを見せたことで1961年にソ連を批判、1968年にはワルシャワ条約機構を脱退。その後、中国側についたアルバニアはこれら戦闘機の供給など様々な援助を受けていました。

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合わせて将来の核戦争や戦争勃発を危惧したのか、このような地下基地や1976年からは国内全土にコンクリート製のトーチカを実に50万基あまり建設されていきました。また70年代には内部に100室を超える巨大な核シェルターを建設されていったといいます。

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この写真からも分かるように中国の援助はそう長く続きませんでした。1978年には鄧小平の政策を批判し始め、中国からの援助も徐々に無くなっていきました。結果として1980年代には欧州最貧国にまで経済が低迷。1989年からは開放路線に転換し1991年にアルバニア共和国に改称。1992年には総選挙が行われ国を荒廃させた共産主義政権から民主化に転換することができました。

しかし、長期の共産主義政権が理由で1990年代に国民らの間でネズミ講が流行し1997年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終結とともにネズミ講投資会社が破綻したことを受けてアルバニア経済も破綻しました。

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アルバニアの軍事に関して特に空軍では現在『戦闘機』というジャンルの機体は経済力がないためほゆうしておらず、これらは2005年までに全て退役。現在は主に陸軍で使用する輸送ヘリや軽武装を施した汎用ヘリに留まっているとのことです。

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こちらはJ-7。

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オイルが自然発火したような跡が残る

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地下基地内には今は使用されていない旧世代の対空砲も放置されています。

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時代を感じるトラック。

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