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核弾頭を搭載し敵国を文字通り破壊することができる弾道ミサイル。実はこれに関して1960年代にソ連が開発していた様々な弾道ミサイル、もしくは核を搭載可能ないくつかの兵器に関してまともに試験もされていないフェイク兵器を堂々と披露していたことが明らかになりました。。

今回この情報を掲載したのはロシア政府が発行する新聞『ロシア新聞』が出資しているメディア、ロシア・ビヨンドです。最近1960年代前後に開発され披露されたこともある様々な兵器が実はまともに動かないフェイク兵器だったと発表しました。

How the USSR tried to scare the U.S. with FAKE weapons - and it worked (PHOTOS) - Russia Beyond

ビヨンドによると『1960年代の米ソ軍拡競争ではあらゆる手段が取られた。しかし、これらがソ連の専門家のフェイクであることに知っている人はほとんどいませんでした』と見出しが付けられています。

どういうことなのか。実はソ連では国民や西側を欺くため試験すら行われていないどころか、飛ぶこともない大型の弾道ミサイルを赤の広場で公開していたというもので、それを当時知っていたのは限られた一部の人だけだったと明かしています。

記事によると、この秘密が明かされたのは元KGB議長のウラジーミル・セミチャスヌイ氏でした。ソ連崩壊後です。具体的にどのようなことを述べていたのかについては「(当時)定期的に年に1~3回、私達は新しいミサイル技術を習得したと公式に発表し、その成果は間もなく赤の広場でのパレードという形で披露した。ごく僅かずかな技術者だけが新型ミサイルのいくつかが単なるフェイクで飛ばすことすらできないと知っていた。トラクターで牽引されていたのはミサイルではなく模型だった」と述べているとのこと。

また記事によると当時のフルシチョフもこの事実を知る1人の人物だったという内容があり、例えば『グローバル ミサイル GR-1』(SS-X-10 Scrag)はグローバルミサイルを紹介した時は、「弾道ミサイルを発射したことを感知するシステムは意味を失う。仮に感知したとしても対策を講じる時間がないからだ」などと説明していたといいます。しかし、実際はGR-1は試作品の報告書すらも作られておらずフルシチョフが話したミサイルの性能は完全に嘘だったとしています。

1965年にGR-1が赤の広場に登場したことを受け西側は強く反応しており「GR-1の開発に成功した」と確信していたとのこと。

RT-15

このハッタリはGR-1だけでは無かったと記載されており、例えば潜水艦と陸上から発射できるとされたRT-15も偽物を披露していました。これはRT-15はソ連が当時初めて開発した戦域弾道ミサイルで射程は2000~2500km、二段式の固体ロケットで打ち上げられ一発の核弾頭を搭載可能とされていました。1965年に全く飛ぶことができない状態にもかかわらず披露され数年後に試作機が開発されたものの電子機器が故障しやすいなどという理由で1970年には廃止されています。

RT-20

次にRT-20。これは射程が7000~1万kmの大陸間弾道ミサイルです。これも同じく1965年に赤の広場で初めて公開されたものの初の試験が行われたのは2年後の1967年10月。試験はその後、9回行われたもののまともな結果にならなかったそうで1969年10月に廃止されています。

2B1オカ 420mm自走迫撃砲

次に登場するのは核砲弾も発射できる2B1オカ 420mm自走迫撃砲。この自走迫撃砲は『世界最大の自走迫撃砲』と紹介されているものの、1961年5月に赤の広場で披露された僅か2ヶ月後には廃棄されたそうです。

原因は砲弾を1発射するとその反動でエンジンとトランスミッションが破壊されることでした。また車両自体が重すぎてキャタピラが十分に支えることができなかったといい、わずか20kmごとに交換する必要があったとのこと。つまりこの兵器は砲弾を1発だけ撃てるような「使い捨てのような兵器」だったと表現されています。

このようなハッタリ兵器が誕生したことで結果的に西側を欺くことはできたといいます。特にグローバル ミサイル GR-1はエンジンの製造が遅れ、ミサイル自体も技術的な問題を大量に抱えており何の役にもたたなかったものの、アメリカを核拡散防止条約に署名するまで持っていくことができ、その後GR-1のハッタリは終わりプロジェクトは終了したと記載されてます。
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