ツァーリ・タンク_1

現在に続く陸上を支配する兵器として運用されているのは戦車です。この戦車の原型となったものは第一次世界大戦時に誕生したのですが、その黎明期には現在の戦車とは似ても似つかぬ異様なものも開発されていました。それが当時ロシア帝国が開発した巨大戦車「ツァーリ・タンク」です。

1914年に勃発し4年後の1918年末に終結した第一次世界大戦。この戦争では主な新兵器として航空機、潜水艦、陸上では機関銃や毒ガス、そして今回紹介する戦車が誕生しました。その一つがロシア帝国で試作された「ツァーリ・タンク」です。しかしこの戦車は量産されることはなく、廃棄されることになります。

第一次世界大戦時に初めて登場した戦車は現在のような戦車を攻撃するための戦車として登場したものではなく当時各地に作られた相手陣地の厄介な塹壕を突破する兵器として開発されました。

当時、ツァーリ・タンク以外にも塹壕を突破できる複数の新兵器案が提案されていたものの、ロシア帝国の皇帝、ニコライ2世の興味を引いたのはレベデンコという技術者が発案したツァーリ・タンクでした。

レベデンコはモスクワの私設研究所をもっており設計を当局に提出したところ、気に入られたらしく1915年1月21日にニコライ二世はレベデンコをサンクトペテルブルクに招き公衆の前でプレゼンテーションを行なうことができたといいます。

▼モスクワ郊外にあるドミトロフクレムリンに収蔵されている模型
ツァーリ・タンク_3

レベデンコは当時、蓄音機のゼンマイを使った動力付きの木製のツァーリ・タンク模型をニコライにプレゼント。当時の様子について、残されている回想によると30分ほど模型を使い部屋中を動かしまわっていたといい、ロシア帝国法典を積み重ねた状態でも乗り越えられる能力が示されたといいます。
この模型を大変気に入ったニコライ二世に対して当時の額で21万ルーブルを割り当てることを命じました。

回想によるとニコライ二世はこの木製模型をひどく気に入っていたらしくニコライ二世により保管されていたという記載もあるそうです。

試作機の開発を命じられたツァーリ・タンクはどのような戦車だったのか。プレゼンからわずか7ヶ月後の1915年9月9日に登場したのは、重量が現代の主力戦車並の40トンの車両でした。直径が9メートルの2つのスポーク状の車輪を備え、T次の車体は幅12m。後方に伸びたアームには1.5mの後輪が取り付けられました。車体には機関銃が8門、量産型では両側に2つの76.2mm砲を搭載する予定でした。

ツァーリ・タンク_2

3階建てに匹敵する巨大なツァーリ・タンクは試験されたもののその最初の試験で致命的な問題がみつかることになります。ツァーリ・タンクは土台から発進することができたものの、あまりの重量で後輪が穴にはまり身動きが取れなくなるという問題が発生。
ツァーリ・タンクの重量配分が正しく設計されておらず、後輪に過大な荷重がかかり軟弱地盤に食い込む形になり身動きが取れなくなったそうです。

この致命的な失敗より試験がされた同月中にツァーリ・タンク計画は事実上否定されることになります。その後も改良に回されたものの、1917年に発生したロシア革命により同年3月に退位したこともありプロジェクトそのものがキャンセルとなりました。

そして1923年、試作車が作られてから8年後には解体され姿を消しました。
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