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私達人間は様々なものに中毒を示しますが、その中でもアルコール中毒は非常に厄介です。アルコールによる暴力、飲酒運転など他人対して危害を加える方向に行く場合もあるのですが、実はそのような人間を収容し矯正するという施設がソ連には存在していました。

アルコール中毒については日本でもそういった施設はあると考えられるのですが、ソ連の場合は病院という意味合いとはかなり異なります。

ロシア政府系メディアビヨンドによると、ロシアにおけるアル中収容施設はロシア帝国時代つまり1900年代から作られたといい、小さなレンガづくりの建物にいくつかのベッドが設置され、酔いつぶれた人を保護するための施設として使われていました。これを管理していたのは警察といった組織でした。

施設は「酔った人のためのシェルター」というもので、食事の提供や睡眠が確保され、酔い冷ましとしてアンモニア水が飲まされたりヒ素を注射するなどの行為がまれに行われていたとのこと。また子供がいる場合も保護施設があったとのこと。

ただ、この施設ついては一時的な保護施設兼収容施設という使い方もされていたらしく、開設から1年間で3030人あまりが入れられ、うち診療所行きになった人で治療に成功した人は60%台になったとのこと。


その後、このような施設はロシア帝国時代に全国に広まったものの第一世界大戦やロシア帝国が崩壊したことをうけて再開されたのは1930年代です。この時、警察らが酔っ払いらを回収してまわり、医師らの診察を行い収容施設に入れました。

しかし、料金は有料化されており、当時の月収の1/10ほどの価格が請求されるようになったとのこと。施設では酒を飲まないよう治療も行われていました。また、警察官によりこの施設に入れられた場合、社会的制裁が加えられるようになり社会人であれば酔をさました人は家ではなく職場に連れて行かれ、その場合はボーナスカットや解雇、学生であれば退学などの処分となり、警察官との間で賄賂が問題になったとのこと。

ソ連時代には更にアル中の問題が深刻化。1950年になるとアルコールの消費量が4倍も増加。国内犯罪の3分の2は、酒に酔った状態だったという深刻さでした。

その後、ソ連が崩壊したことをうけて、それぞれの街に絶対1つはあったという施設も徐々に閉鎖。2011年には最後の施設が閉鎖されたとのこと。現在のロシアでは特に酩酊状態の人は病院に運ばれるようになっているとのこと。

ただ、2021年には再び収容施設を復活する法案が施行されており、警察官により酔っぱらいはその態度したいで家、もしくは収容所に送り込まれるようになるとしています。