映画やゲームなど第二次世界大戦を扱うテーマでは描かれることが多いスターリングラード攻防戦。今回は当時この戦闘が終結してまもなく撮影された写真を紹介します。
1942年6月28日~1943年2月2日、ドイツ及びソ連が衝突したのは工業都市スターリングラードです。現在はヴォルゴグラードと名前は変わっているのですが、今回は終結してから1年半後、1944年6月17日に撮影された貴重な写真を紹介していきます。
Фотографии Сталинграда, сделанные 17 июня 1944 года
スターリングラード攻防戦はドイツを中心とした枢軸軍とソ連が第二次世界大戦中に行った地上戦でその規模は人類史上最大の市街戦になりました。結果的にソ連が勝利するものの、その被害は甚大でした。
当時スターリングラードには60万人の人口がいたものの、戦闘終結時点での人口はわずか1万人まで減少したとされています。
そして死傷者はドイツを中心とする枢軸軍側が85万人、ソ連側が120万人、合計200万人前後とされているのですが、当然ながら推定の値であり詳しい数は諸説あります。
この都市については戦闘後にイギリスのチャーチル首相から側から街全体を戦いの遺産としてのこしてはどうかと提案があったといいます。ただ、ソ連側は国内の重要な工業地点だということで、結果的に街を再建する決定を下したとのことです。
現在ヴォルゴグラード(スターリングラード)の人口は101万人。イギリスのコヴェントリーや日本の広島など戦火に見舞われた都市と姉妹都市を結んでいます。
Фотографии Сталинграда, сделанные 17 июня 1944 года
スターリングラード攻防戦はドイツを中心とした枢軸軍とソ連が第二次世界大戦中に行った地上戦でその規模は人類史上最大の市街戦になりました。結果的にソ連が勝利するものの、その被害は甚大でした。
当時スターリングラードには60万人の人口がいたものの、戦闘終結時点での人口はわずか1万人まで減少したとされています。
そして死傷者はドイツを中心とする枢軸軍側が85万人、ソ連側が120万人、合計200万人前後とされているのですが、当然ながら推定の値であり詳しい数は諸説あります。
この都市については戦闘後にイギリスのチャーチル首相から側から街全体を戦いの遺産としてのこしてはどうかと提案があったといいます。ただ、ソ連側は国内の重要な工業地点だということで、結果的に街を再建する決定を下したとのことです。
現在ヴォルゴグラード(スターリングラード)の人口は101万人。イギリスのコヴェントリーや日本の広島など戦火に見舞われた都市と姉妹都市を結んでいます。