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日本各地には遊園地が当たり前のように遊園地がありますが昔はそうではありませんでした。第二次世界大戦後のソ連ではどのような遊園地があり、アトラクションがあったのか紹介していきます。

fishki.netに投稿された内容によると、ソ連時代におけるアトラクションに関しては公園から始まったとしています。これられは主に遊具というよりも自身の体力を作りに設置されていたものだったといいます。

一方で、パラシュートタワーなど体力作りとは異なる施設が登場しはじめこのような施設は当時非常に人気があったとのこと。

▼こちらが子供用のパラシュートタワー
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▼こちらは大人用のパラシュートタワー
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どれも今では見かけないようなアトラクションです。しかしソビエトパークのアトラクションがどのように変化したか

1960年代に入ると現代の遊園地の原点のような施設がオープンします。これは現在のロシア南部、エイスクという黒海を挟み対岸にはウクライナのマリウポリがあるような地域にはじめて開設しました。

当時多くあったのは回転系のアトラクションです。観覧車や水平方向に洗濯機のようクルクルと回転するようなものです。

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そして1970年に入るとモスクワなどでも相次いて遊園地がオープン。入場者数は毎年20万人が訪れるような規模だったといいます。

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1970年代以降になると外国企業と契約することで様々なアトラクションが登場していったとのこと。もちろん日本製のものも輸出されており、こちらのファニーカップと呼ばれていたものも採用されていたとのことです。
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