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現代に残る遺跡が多いエジプト。逆に言うと「それだけ裕福な暮らしをしていたんだろう」と想像してしまいますが、時代によっては現代とは比べものにならいないくらい過酷な生活環境だったことが明らかになりました。

紀元前1350年、古代エジプトの都市アマルナの平民墓地から発掘された人骨を調査したところ、栄養失調や事故による傷跡が多い骨が多く見つかったことが最新の研究により明らかになりました。

これまで首都だったテーベを放棄しテーベとメンフィスの間にあるアマルナに都市を築いたのは当時の王、アクエンアテン(アメンヘテプ4世)。しかし、この都は短期間で放棄されたことが分かっており、平民墓地から出土する人骨は若い人の骨が多いことが明らかになっています。


アメンホテプ4世の胸像

「古代エジプトの人骨で、これほどストレスと病の痕跡を残しているものは報告例がない」と語るのはアーカンソー大学の生物考古学者ジェローム・ローズ氏。アマルナの平民墓地から発掘された人骨を調査したところ、子どもの多くは栄養失調で発育不全、大人も過酷な労働に従事していたらしく、事故による負傷の痕が多く見られたそうです。

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アマルナに築かれた王宮の遺構

具体的には、アマルナで暮らしていた子供の骨からは絶えず筋肉を使っていた痕跡がみられ、8.5歳前後より年長の子どもたちに深刻な発育不全の兆候が見られています。25~30歳で死んだ人々の骨には壊血病やくる病を患った形跡があり、詳細に調べられた人骨の実に75%から重労働に従事していたことを示す四肢や脊椎の関節炎の痕がありました。また、背骨が折れたり押しつぶされていることも多く、67%から骨折が治癒、または治癒しかかっている痕跡が最低1カ所見つかっているといいます。

ギザのピラミッド周辺で発掘調査を行っている古代エジプト調査協会の骨考古学者ジェシカ・カイザー氏は他の墓地から見つかった人骨よりも非常に高い確率であり、「過酷な労働量を示している」と述べています。

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アマルナに築かれたアートン神殿のレリーフ

当時築かれた都市アマルナの壁には農場では牛が肥え、倉庫には穀物と魚があふれ、ファラオ(王)は音楽家の演奏を聴きながら肉のごちそうを食べる様子が描かれているといいます。

参考:National Geographic