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旧日本陸軍が使用してた三八式歩兵銃がミャンマー東部の山岳地帯で現在も使用されていることが明らかになりました。

ミャンマー東部シャン州の山岳地帯にある少数民族勢力「パオ民族解放機構」 (PBLO)の基地で現在も使用されているという三八式歩兵銃。PBLOの基地では三八式歩兵銃は1丁のみ残っており、アウン・チョー大佐は「命中しやすく性能は非常に良い。政府軍と戦うための大切な武器だ」と話しています。

元々この銃は現在60歳代の村人が父の形見として持っていたものだそうで、政府軍に見つかって罰せられるのを恐れ、今から2年前にPNLOへ譲渡したものだそうです。元の所有者や、村人の父に渡った経緯は不明。大佐は「この銃があった村では、英国軍や日本軍の銃がまだ狩りに使われている」と話しています。

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見つかった銃には 「三八式」と製造番号とみられる「02604」の刻印が残っているといいます。日本銃砲史学会の須川薫雄理事の話として「(製造番号は)東京の工場で製造された番号で、日本軍がビルマ(ミャンマー)戦線で使ったものだろう」とし、三八式歩兵銃と銃弾の口径が異なっている点について「誰かが砲身加工して広げた可能性が高い」と述べています。
銃に彫られている「菊の紋章」は見当たらず、これについては「日本軍の武装解除の際に削られたとみられる」と指摘しています。

三八式歩兵銃

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1905年(明治38年)に大日本帝国陸軍が採用した小銃。三八式小銃とも呼ばれる。 初の実戦投入は第一次世界大戦(青島の戦いなど日独戦争)。以降、三八式歩兵銃は日本軍(海軍にも供与)の主力小銃としてシベリア出兵、満洲事変、上海事変、日中戦争(支那事変)、第二次上海事変、張鼓峰事件、ノモンハン事変で使用された。
第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)においても九九式小銃(九九式短小銃)とともに日本軍主力小銃の双璧として使用された。 総生産数は約340万挺。多くの派生型も開発・使用され外国にも多数が輸出されている。
参考:YOMIURI ONLINEWikipedia