今から100年以上前に撮影された装甲巡洋艦「グロモボーイ」。この艦船はロシアのウラジオストク巡洋艦隊に所属しており、日露戦争では日本海軍と戦闘を行なっています。
日露戦争勃発後の1904年8月1日、朝鮮半島沖で日本海軍と戦闘を行ったのはロシアのウラジオストク巡洋艦隊です。この戦闘は蔚山沖海戦(うるさんおきかいせん)と呼ばれており、結果はロシア側が装甲巡洋艦1隻が沈没(自沈)の損害を出し日本側が勝利しました。
海戦に出撃していたグロモボーイはで重度の損傷を負いながらも帰港することができました。しかし、翌年5月11日に機雷と接触し破損、再びドックに入ることになりました。結果、日本海軍は日本海の制海権を確保することができたとされています。
同海戦では沈没した装甲巡洋艦「リューリク」に対し日本海軍は退艦した乗務員626名の救助を行なっており、このエピソードは各国海軍の教本に掲載されているといいます。
以下は蔚山沖海戦で損傷したグロモボーイの写真
以下は1905年5月11日の触雷で損傷したグロモボーイ
グロモボーイはその後、第一次世界大戦前に改装が行われ、大戦後はフィンランド湾の巡視任務に就いています。1922年にロシアとドイツの合同企業にスクラップとして売却されることが決まり、ドイツへの曳航が開始されるも途中に嵐に遭遇し座礁。その後民間会社がにより解体されています。
参考:Wikipedia、English Russia
海戦に出撃していたグロモボーイはで重度の損傷を負いながらも帰港することができました。しかし、翌年5月11日に機雷と接触し破損、再びドックに入ることになりました。結果、日本海軍は日本海の制海権を確保することができたとされています。
同海戦では沈没した装甲巡洋艦「リューリク」に対し日本海軍は退艦した乗務員626名の救助を行なっており、このエピソードは各国海軍の教本に掲載されているといいます。
以下は蔚山沖海戦で損傷したグロモボーイの写真
以下は1905年5月11日の触雷で損傷したグロモボーイ
グロモボーイはその後、第一次世界大戦前に改装が行われ、大戦後はフィンランド湾の巡視任務に就いています。1922年にロシアとドイツの合同企業にスクラップとして売却されることが決まり、ドイツへの曳航が開始されるも途中に嵐に遭遇し座礁。その後民間会社がにより解体されています。
参考:Wikipedia、English Russia