滋賀県にある平和記念館が昨年展示していた写真の中に、1939年頃にドイツから日本に輸入されたユンカースJu87「スツーカ」の写真が含まれていたことが明らかになりました。
滋賀県東近江市平和記念館が保管していた写真の中に旧日本陸軍が輸入したドイツ製急降下爆撃機、ユンカース Ju87が写っているものが含まれていることが判りました。専門家によると、「実働状態の輸入型Ju87の機体が撮影されたものは10数枚しか確認されておらず、当時の日独の技術交流を示す貴重な資料」と述べています。
ネットの情報によるとこの写真は滋賀県神崎郡八日市町沖野ヶ原 (現・東近江市沖野)にあった旧日本陸軍の飛行場『八日市飛行場』で撮影されたもので、機体には迷彩模様の他に日本の国籍を示す白の縁取りが施された日の丸が映し出されているそうです。また固定車輪のスパッツの形状や風防の形状から、輸入されたのはJu87A-2型と考えられるとのことです。
滋賀県東近江市平和記念館で展示されていた写真(Ju87) Photo:蒲生野の空から
平和記念館によると、戦中の写真を収集していた東近江市の男性(故人)が今から10年ほど前に寄贈したもので、同じく寄贈された八日市飛行場の写真のうち1枚がこちらの写真でした。
この写真は2012年9月から12月に開催していた八日市飛行場の企画展で展示した際、来観客から「ドイツ軍の軍用機がなぜ写っているのか」という趣旨の指摘があり専門家に依頼、調査し今回の発見に至ったとのことです。
同機種が旧日本軍に与えた影響について航空情報『設計者の証言』上巻によると、当時日本で運用されていた艦上急降下爆撃機、『愛知 九九式艦上爆撃機』のエアブレーキについて設計主任助手の尾崎紀男氏は「Ju87と同形式なのは偶然」と述べています。九九式艦上爆撃機のエアブレーキの設計がまとまったのはJu87が輸入される前でした。
また、Ju87は2機輸入されたものの紙上性能が国産機よりすでに劣っていたこともあり、特に注意して研究することなく終わったとされています。一方この情報は当時のアメリカにも既に渡っており、日本で生産される可能生があるとし、Ju87型機について「アイリーン(Irene)」というコードネームが振られていたとされています。
『スツーカ』の愛称で知られるJu87はドイツにおいて第二次世界大戦中に使用された急降下爆撃機のこと。ドイツでは1935年9月に初飛行しその後もいくつか派生形が作られ終戦まで使用されていました。
第2次世界大戦時の急降下爆撃機としては有名な同機は、翼がせり上がった『逆ガル式』の翼が特徴。形状から得られた下方視界の良さと安定した急降下性能のため、正確な爆撃が行うことができたとされています。
また、急降下時に生じる風切り音が『サイレンのような音』に聞こえたことから当時、ドイツ軍と戦闘を行なっていた連合国側は「悪魔のサイレン」などと呼ばれ恐れられていました。 同機は終戦まで6,500機以上が生産されました。
参考:福井新聞(2013年7月24日)、AnsQ過去ログ検索、蒲生野の空から
ネットの情報によるとこの写真は滋賀県神崎郡八日市町沖野ヶ原 (現・東近江市沖野)にあった旧日本陸軍の飛行場『八日市飛行場』で撮影されたもので、機体には迷彩模様の他に日本の国籍を示す白の縁取りが施された日の丸が映し出されているそうです。また固定車輪のスパッツの形状や風防の形状から、輸入されたのはJu87A-2型と考えられるとのことです。
滋賀県東近江市平和記念館で展示されていた写真(Ju87) Photo:蒲生野の空から
平和記念館によると、戦中の写真を収集していた東近江市の男性(故人)が今から10年ほど前に寄贈したもので、同じく寄贈された八日市飛行場の写真のうち1枚がこちらの写真でした。
この写真は2012年9月から12月に開催していた八日市飛行場の企画展で展示した際、来観客から「ドイツ軍の軍用機がなぜ写っているのか」という趣旨の指摘があり専門家に依頼、調査し今回の発見に至ったとのことです。
同機種が旧日本軍に与えた影響について航空情報『設計者の証言』上巻によると、当時日本で運用されていた艦上急降下爆撃機、『愛知 九九式艦上爆撃機』のエアブレーキについて設計主任助手の尾崎紀男氏は「Ju87と同形式なのは偶然」と述べています。九九式艦上爆撃機のエアブレーキの設計がまとまったのはJu87が輸入される前でした。
また、Ju87は2機輸入されたものの紙上性能が国産機よりすでに劣っていたこともあり、特に注意して研究することなく終わったとされています。一方この情報は当時のアメリカにも既に渡っており、日本で生産される可能生があるとし、Ju87型機について「アイリーン(Irene)」というコードネームが振られていたとされています。
Ju87
『スツーカ』の愛称で知られるJu87はドイツにおいて第二次世界大戦中に使用された急降下爆撃機のこと。ドイツでは1935年9月に初飛行しその後もいくつか派生形が作られ終戦まで使用されていました。
第2次世界大戦時の急降下爆撃機としては有名な同機は、翼がせり上がった『逆ガル式』の翼が特徴。形状から得られた下方視界の良さと安定した急降下性能のため、正確な爆撃が行うことができたとされています。
また、急降下時に生じる風切り音が『サイレンのような音』に聞こえたことから当時、ドイツ軍と戦闘を行なっていた連合国側は「悪魔のサイレン」などと呼ばれ恐れられていました。 同機は終戦まで6,500機以上が生産されました。
参考:福井新聞(2013年7月24日)、AnsQ過去ログ検索、蒲生野の空から