image48

国に歯向かえば収容所送りにされる…そのようなイメージもある国『ソ連』。現在のロシアですが、今に比べると当時は非常に国民に対して自由を制限していた国家でした。では具体的に何が禁止されていたのでしょうか。

海外への移動禁止

ロシア政府系メディアビヨンドによると、1つ目として現在は当たり前にできる海外への旅行など渡航が禁止されていました。ソ連国民の中で海外に移動できたのは限られた人です。例えば外交官など外国との仕事をする公務員程度です。そしてその外交官を外に送り出す船長やパイロット程度でした。

ただ一般国民でも海外へ行くことはできたといいます。しかし共産党の面接や書類審査、なによりその人物が相応のスキル、政治的知識、かつ行動に問題がないなど条件が必要だったそうです。

言い換えれば現在のように「外国に遊びに行きたいです!」や「アメリカのディズニーみたいです!」などという理由は完全に不許可です。それどころか後者は収容所送りになる可能性があります。

大卒後は事実上共産党が選ぶ

職業選択の自由などというよくわからない言葉があるのは何故なのか。職業選択の自由がない国もあったためです。その一つがソ連ですソ連では大卒など高等教育を受けた人材は基本的に専門員(事実上の共産党員)が少なくとも卒業から3年間はどので働くのか強制していました。

別の見方をすれば就職する手間がないという利点があるものの働く先は地元から数千キロはなれたシベリアということもあるということは覚悟する必要があります。

頻繁に引っ越し

現在日本では4月の卒業や年度が変わるたびに異動があります。もちろん自由に部屋を借りて生活を始めることができるのですが、ソ連ではできませんでした。

そもそもソ連では国民の行動に自由がありません。それどころか例えば住民登録した場所以外、例えば3日以上どこかに滞在することは犯罪であり1年の禁錮刑または1カ月の給料に相当する罰金を課されました。もちろん仕事などで他の地域で暮らす必要が有る場合は共産党の許可を得て初めて行えたものででした。

外国のガムを買う

実はソ連では外国で作られたガムが禁止されていました。当時ソ連ではガムは腐敗した西側のシンボルだとして徹底排除していました。しかし、ソ連国民はこのガムという新しい文化に強い興味を示しており、1975年にソ連を訪れたカナダのホッケーチームが公園でガムを配ったところ群衆となり21人が死亡するという事故が発生しました。

ソ連はガムを恐れたのか理由は不明ですが、1976年になるとガムをソ連国内でも生産するようになったといいます。



他にも記事では外国のラジオ聞くこと、空手などをすること、政権批判することなど禁止事項が紹介されています。