image171

ロシアメディアによると先月22日、ソ連で初となる水素爆弾を開発した核物理学者がモスクワのアパートで死亡していることが確認されたと報じてます。

ロシアのタス通信によると、死亡しているのが見つかったのはソ連初の2段階水素爆弾の共同開発者で核物理学者がモスクワ市内のアパートで自殺しているのが見つかったというものです。

記事によると、この人物は6月17日に死亡している姿をを娘が見つけ、一緒に発見された遺書には自分の健康問題と妻の死に対する悲観が書かれていたとしています。捜査当局は「自分の境遇を悲観して自ら命を絶ったようだ」とし「遺書などが最終的に明らかになるまで捜査が続くだろう」と説明しています。

詳細は不明ですが、この人物はソ連の核兵器開発の歴史に必ずする人物だといい、1930年生まれでモスクワ工学物理研究所で働き、ソ連最高の核兵器科学者アンドレイ・サハロフが率いる部門で働いていたといいます。成果としては1955年11月22日に現在のカザフスタンで実験に成功したソ連初の2段階熱核爆弾(水素爆弾)RDS-37の開発者のだったとのこと。



RDS-37は元々3メガトンの威力があったものの、1.6メガトンに威力を下げて試験された水爆です。当時ソ連国内では任務として3メガトンの熱核爆弾はあまりに過剰だと判断されていたことがあり、より小型で威力が小さい200キロトン程度の核爆弾が任務で使用できるようになってたいといいます。