
人の命に関わる医療。これは現在高度に管理されている分野の一つですが、人体の仕組みがよく分かっていなかった頃は医療行為そのものが命取りになる例もあったそうです。今回は今では考えられない昔の医療を紹介していきます。
黒死病とオナラ
1660年代、当時ペストいわゆる黒死病がまん延しており多くの人が死亡するという出来事が続いていたのえすが、特にそれが酷かったイギリスのロンドンではかなり変わった医療行為がされていたことが明らかになっています。それはオナラです。これは民間療法というものではなく医師らがペストは空気の蒸気を介して人から人に広がるとして、悪臭を放つ物質があれば感染を薄めることができると信じていたといいます。そこで出てきたのが何故かオナラということになるのですが、市民らは自分のオナラを瓶に保管するなどしてそれを嗅ぐなどして健康を維持しようとしていたといいます。
乳を輸血
これは1800年代後半頃に実際に行われていたもので牛やヤギ、女性から採取した乳を輸血するというものです。当時輸血行為は行われていたものの血はどれも同じと判断されており医学的な血液型というのは発見されていませんでした。そのため当時は輸血した場合の致死率は実に50%に達しており、輸血しないで死ぬ可能性も高かったのですが、輸血して死ぬ可能性も非常に高いものでした。

もっと安全な輸血はないかと医師らは考えました。そこで登場したのが乳でした。医師らは人間から輸血で白血球を補充するよりも安全な方法としてこれを行っていました。考えられない行為ですが、そもそも輸血でも乳でも死亡した例が多かったため危険だと判断されたのはかなり経った後だったとされています。
ミイラのすりつぶした粉
これは知られていると思うのですが、12世紀ごろヨーロッパ人がエジプト探検で発見したミイラを治療に使い始めたというものです。ミイラ、つまり人間の遺体ということになるのですが、当時医師らは打撲傷、頭痛、傷、癌、痛風、うつ病の治療用としてミイラを擦りつぶした粉を処方するということを実際に行っていました。しかもこの医療は相当長く行われており、12世紀から16世紀頃まで行われていたとされています。なぜこれが長く支持されたのかは不明ですが、要はプラシーボ効果、思い込みにより改善するという効果があったと考えられます。
ヨーロッパ人がミイラの粉が万能薬などと信じたのか。理由はミイラ処理に使用する物質が傷や怪我を治すなどと言われていたものの、当時の人が誤って翻訳してしまったことでミイラそのものに治癒効果があると勘違いしたためだ言われています。