M-55

ソ連時代、東西冷戦期か開発され運用していたのは高高度を飛行する有人機M-55です。その特殊な機体が理由で生産数も少なく現在は姿をみることは無くなっていたのですが、先日何らかのポッドを付けて運用している様子が撮影されました。

Defence blogによると詳細は不明ですが、写真は最近モスクワ郊外にあるラメンスコエ飛行場で撮影されたものだとしています。同機1988年に初飛行し大気が非常に薄い高度20kmを飛行する有人機として開発されました。

しかしまもなく偵察衛星などの技術が発達したことや1991年にソ連が崩壊したこともあり生産されたのは試作機を含めわずか4機です。M-55はロシア空軍で運用中の機体として記載されてはいるのですが、科学研究目的に指定しており軍事用には使用されていませんでした。理由は無人偵察機や人工衛星の発達があると考えられます。

ですが、今回撮影された機体には翼下に何らかの装置、推定では UKR-RT (無線技術偵察機器)と考えられるコンテナが搭載されているとしています。

M-55は本来、当時ソ連が開発・運用していた中距離弾道ミサイルといったミサイル攻撃を運用する一部として開発された経緯があります。一方でこれまでほとんど活動している様子はみられなかったもののウクライナ侵攻以降、現在はこのような状況になっています。

したがってこのM-55についてはどのような運用がされているのかは不明ですが、説としてはロシア空軍が戦術航空用の搭載機器をテストする継続的な取り組みで行われている可能性。もしくはこの航空機の本来の目的、つまり「イスカンデル」といった戦術ミサイルシステムを使用して、ウクライナにミサイル攻撃を実行するための偵察活動を行っている可能性があるとしています。

M-55




全長22.8m、全幅37.4m、一人乗りの高高度偵察機として1988年に初飛行した機体で、巡航高度は21,500m。1950年代から1960年代にかけて、アメリカはソ連や中国に対する偵察用に高高度無人偵察気球を運用しはじめこれに対抗する手段として開発されました。つまり迎撃機としてミサイルで気球を撃墜するというものでした。

しかしアメリカは気球をとりやめ高高度偵察機や超音速偵察機SR-71に偵察任務を移行したことで当初の開発目標を失うことになります。そして1991年になるとソ連が崩壊。1994年には生産終了。M-55は軍事用ではあるものの数機は学術研究の分野として運用され北極の成層圏の研究がおこなわれていました。